いま、俺の目の前にいる後輩は、俺になんと言った?
「謙也さん、好きです」と言わなかったか?
なんで? どうして? 頭でも打ったか?
俺の知ってる財前は、いつもクールで、無表情で、感情なんて滅多に面に出さなくて、先輩の俺より勉強が出来て、テニスも出来て、でもなんでか俺とダブルス組んでて、低体温で、そういやまた最近新しくピアスの穴をあけて、…ああ、段々わけがわからなくなってきた。

とにかく俺が言いたいのは。
財前は、冗談でこんなことを言うような人間ではないということだ。

「な、に…」
「なんべんも言わせんといてくださいよ。謙也さんが好きやって言うたんです」

状況整理が出来なくて必死に絞り出した言葉だったのに、財前はそれをしれっと一蹴した。
一体なんなんだ、この状況。俺は、俺はどうしたらいい。

「なんで、そんなこと…」
「言いたくなったからです」
「言いたくなったって…」

「なんでも速いんがいちばんや!」が常套句の、この俺が。
財前の言葉に、何も言い返せないなんて。
(普段から財前に口で勝てた試しもないけれど)

「今日、千歳先輩来てはりましたね」
「え? あ、ああ…」
「表情には出さんようにしてましたけど、白石部長、嬉しそうでした」
「……」
「謙也さん、俺は…」
「同情やったらいらんぞ」

財前は頭がいい。他人のことには無関心かと思いきや、それはただ相手を冷静に観察しているから、だから財前の表情は崩れない。
それでもこのとき。
俺の声が硬さを含んだこの瞬間だけ、財前は苦しそうに眉を寄せた。

「同情とちゃいます。俺はそこまで偉ないですから」
「……せやったら、なんやねん」
「俺は、謙也さんが白石部長のこと好きでも、謙也さんが好きってことです」
「は、」

今度こそ俺の言葉は言葉にならず、ただ乾いた空気だけが喉を押し通って吐き出された。とんでもないことを言ったはずの財前は、まっすぐに俺を見たまま、揺るがない。

「謙也さんは優しいから、自分のことだけ考えられへんでしょ。白石部長の立場とか、気持ちとか、そういうの、優先しはる」
「……財前、おまえ…」
「ホンマは白石部長のことめっちゃ好きやのに、謙也さんは優しいから。自分のことが好きやっちゅう後輩のことも無視出来へん。…ホンマに、お人好しって貧乏くじっスよね」

財前は笑っていた。それがたまらなく苦しそうで、俺はつい手を伸ばしかけてしまう。その様子を見た財前が身を引いたことで、触れることは叶わなかったけれど。

「ほら、いまも。謙也さんに振り向いてほしくて、どうにかして気ィ引こうとしとる意地汚い後輩のこと、慰めようとしてはるでしょ」
「おまえのどこが意地汚いっちゅーねん! そんなん言うたら俺かて…」
「……あかんなぁ、謙也さん。やっぱ優しすぎるわ…」

まただ。またそうやって、本当は泣きたいのに無理に笑おうとする。
いつもはどんなに俺が笑わせようとしたって、くすりともしないくせに!

「俺ね、いっつも謙也さんのこと見てたから、わかるんです。謙也さんに意地汚いとこなんてひとつもあらへん。俺みたいに、相手を無理矢理自分の方に向かせようなんてしてへん。ずっと、ずっと、ただ、遠くから見守って、それで、近くで支えとる。俺は、謙也さんにそこまでしてもらえる白石部長が、羨ましくて、妬ましくて、しゃあないんスわ」
「…もうええわ、財前」
「せやのになんで白石部長は、謙也さんのこと好きにならへんねやろ。なんで千歳先輩のことが好きなんやろ。なんで俺は謙也さんのことこんなに好きなんやろ。なんで謙也さんは俺のこと好きになってくれへんのやろ。なんで謙也さんは」
「財前! もうええから!」

こんなに饒舌な財前を、俺は見たことがない。
いや、そんなことはどうでもいい。
恐らく本人は気付いていないだろうが、財前の目からは耐え切れなくなった涙が溢れ出ていた。
抱き締めることは簡単だ。いつもふざけてじゃれついているから(いま思えば、俺はなんて非道いことをしていたのだろう)、今更なんてことはない。
でもそれは、いまいちばんやってはいけないことだ。
俺のどこに、財前がそこまで想ってくれる要素があるかわからないけれど、それでも財前はこの両手を渇望しているから。だから、俺は決して与えてはならないのだ。

「……やっぱり謙也さんは、優しいわ…」

こんなに、どんなに、俺のことを想ってくれていても。

「…なんで俺、財前のこと好きにならんかったんやろ」
「ホンマですわ。骨の髄まで愛し尽くしてあげられるのに」

それでも俺は、財前を、愛せはしないから。



end



2009/01/01